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文慈部:あなたをそこから自由にする名文たち

歴史

「九鬼と天心 明治のドン・ジュアンたち」からの文を慈しむ。

彼は敵を多く作りすぎた。敵を作ってなお前進を望む者は、敵に倍する味方を作る必要がある。彼は自らの力を恃みすぎたのだ。

「九鬼と天心 明治のドン・ジュアンたち」 p209

文と書籍の解説。

この著者の本は概して面白い! オススメッ! と、その前に。

恐縮ながらこの文より個人的に思うこと、それは――敵に打ち勝っていくよりも、無駄に敵を作らずに味方を増やしていく方が、実はより高い人間力を必要とし、人としての強さでもあるということ――こう思い始めています。あなたにとっては如何でしょうか?
ここで 「思い始めた」 と使うのは、年齢や経験を重ねたことで、前者の考えであった自分が徐々に後者にシフトしていったとの意味を込めています。それらは決してヤワな振る舞いでもなく、勝負所を間違えない賢明さや己を知る心の落ち着きも意味します。
勝敗がハッキリしているスポーツの世界ではなく、ごく普通の世界を渡り歩く処世術の中では、勝利に特別な意味が見出せず、そもそも 「勝つ」 とは何なのか。様々な尺度が必要で単純ではありません。血気盛んな前者も嫌いでないとはいえ、よくよく深慮していくと、勝敗というものには何も残らない自己満足の匂いを感じ、場合によっては失うものが多い、そんな思いも消えません。それは一般の定義からすれば残念ながら 「負け」 ということに・・・。
こればかりは各々の価値観にもよるでしょう。どの考えも尊重致します。ただ、無駄に争わずにもしくは争う所を間違えずに味方を増やせる人材の方が、人として勝者 (?) ではないかと言わせて下さい。孫子老子も、そう私に教えてくれた。

あんなことやこんなことの愛憎劇。

本書はノンフィクションの歴史物。話の舞台は主に明治維新の政界。そこに少し文化・教育の香りが。いずれにしても処世術の巧みさがものを言う世界です。そんな場所で複雑な人間模様を展開する主人公は、タイトルにもある九鬼隆一。今回の文の 「彼」 とは維新の政治家であるこの人物を指します。
まずは九鬼の話が前半3分の1。生い立ちから激動の政治人生に加え、女性をめぐる愛憎劇が不思議と臨場感を帯びて描写されていきます。情報も豊富で、これだけでお腹一杯。
その中では主人公の動向とは別に、予備知識として明治の時代背景も解説してくれます。たとえば、一章を使って語られるのが教科書にもある明治14年の政変。
一方で、欲や煩悩にまみれた愛憎劇には、思わず 「やれやれ」 との言葉が唇からこぼれます。明治の厳つい紳士たちもやりますね。フフフ。どれもが生々しく、まるでドラマのシーンのよう。

そして天心――もう一人の重要人物が岡倉天心です。九鬼とは、とある大きな接点があり、そこをターニングポイントとして登場することに。ここからは各人の時間軸で話が進行しては交わる群像劇へと移ります。
全体を通して歴史の裏話。教科書では各偉人の性格・嗜好まではわかりませんが、本書はその人格描写や人間模様から、楽しみながら人間を学べる一面も持っているとも言えます。

それは負け戦への一里塚。

さて、九鬼隆一に焦点を当てましょう。彼はいかにして敵を作るに至り、そして何が出来ずじまいだったのか。
彼の政治人生は、今の政界と同様の離合集散を繰り返す中での歩みでした。その姿はパワフルかつ巧妙。しかしあまりに強すぎる野心のために、その利己的な立ち回りから無駄に敵を作ってしまったことが大きな仇となっていきます。
福澤諭吉とは絶縁され、その一派からも疎遠になったのを皮切りに、よこしまな考え――無能で付け入るスキがある――で近付いた松方正義の派閥では、結局悲願であった大臣の椅子には届かず、選挙のトラブルや大臣阻止の動きといった足を引っ張られる事態を招くことになります。その後は伊藤博文の派閥に鞍替えするも不運は重なり、その伊藤はハルピンにて凶弾に倒れます。

画策すればするほど、自らも画策されるのはこの世の常。自分しか見えない中では、願えば願うほどそのものからは離れていく。思い上がりとも言える過信は負け戦への一里塚なのでしょう。欲は適度に必要ながらも、その繊細なバランス感覚は大切だと教えられます。何だか私たちも身につまされる話です。

こんな超骨太で読み応えのある歴史物の多い著者の北康利氏。他にもオススメ出来るのはこちら。
「白洲次郎 占領を背負った男」
「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」
「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」
いずれも息遣いがとてもリアル。大河ドラマのようなスケールで、情報量は膨大。調査量の労苦も伝わり圧倒されます。

おわりに。

ほんの少しだけここで余談を。お腹一杯の本書らしく、最後にもまだ情報があります。
気付かれた方はいるかもしれませんが、九鬼隆一の三男は、あの 「「いき」 の構造」 の著者、哲学者の九鬼周造です。その彼も本書のラストに登場。これまた男と女の愛憎劇を繰り広げます。やれやれ。
本書はこんな視点が基本ですが、あと一つだけ九鬼と天心ならではの大切な共通点をお伝えしたいのです。
それは、共に猛烈な国粋主義者であること。色恋沙汰と並行して語られる明治の教育・文化面での欧化と国粋のせめぎ合い。日本のアイデンティティを守りながら、国家が成長・成熟していくプロセスも印象に残るかと思われます。
国を愛し、その文化・芸術を命懸けで守り、成長していったリアルな姿。皆が一生懸命だった時代。先達に敬礼。そんな想いが芽生えます。

九鬼と天心 明治のドン・ジュアンたち

九鬼と天心 明治のドン・ジュアンたち

北 康利
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ブンジブ主筆、そして編集長。知的好奇心は尽きず、月30冊の読書量をもっと増やしたいと願う毎日。