改革や変革は必要です。しかし、変えてはならないものまで変えてしまえば、社会秩序を保つことはできません。ここが難しいところです。ショック療法を伴っても、思い切って改革すべきか、維持し守るべきか。何を変えて、何を変えてはいけないのか、その見極めが難しいのです。
「世界史で読み解く「天皇ブランド」」 p157
文と書籍の解説。
たとえば1789年に起きたフランス革命。ルイ16世の処刑、そして市民が自由をつかんだ出来事として有名です。しかし教科書に載りはしないその裏側では革命後、国は混乱をきわめ無法地帯に。あげくの果てに、逆に革命政府により恐怖政治が敷かれ・・・ナポレオンの登場まではそんな状態が10年間続きます。革命とは何なのか。
今回の一文は見過ごされそうに感じますが、本書のテーマである世界の王室・皇室の話から出たことが、この文に重みを与えています。事の大きさを考えずに変えることだけが無条件に良いことかと。
世は歴史を顧みても、とかく新しいか古いか、さらにはそれが良いか悪いかとの二元論に陥りがちです。わかりやすい構図にもなるそのバトルは、どうしても変革を促す側が歴史の正当とされ、英雄とされ、最後に訴求力を持つことも否めません。私も人間なのでそのメカニズムはよくわかるのです。ただ、果たして見るべき所はそこだけでしょうか。大切なのは何でしょうか。目的は別の所にあるような気がいつもしています。
男性を排除という真実。
本書は君主という新たな視点から世界史を見ようとする内容です。著者の宇山卓栄氏は元々世界史の講師ということもあり、知識も膨大で面白いですね。
中でも個人的に印象に残った話題はこの3つ。
何故、陛「下」という呼称なのか。
世界の君主の序列という都市伝説。
現存する各国王室の詳細。
解説はいずれも丁寧で引き込まれます。これ一冊で真に教養となっていく手応えに感謝すら芽生えますね。
その豊富な話題の中、今では半ば定番化しましたが、やはり継承問題つまり女系を認めるか否かの議論へ。事の重大さは多くのページが費やされていることからも見て取れます。また、どうやらこれは日本だけの問題でもなさそうで、これを機に各国の事情や歴史的背景をも垣間見ることになります。
女系の問題になると、如何せん男女の対立じみた話になってしまうのが残念ではあるのですが、実は世界史というフレームで見ると驚きの事実がわかります。
それは、女系天皇を認めてこなかったのは、男性を排除するという論理が背後に横たわり、それによって日本は2600年防衛出来たことです。この説明は目からウロコで、思わず声が!
可哀そうだからと変えていいのか。
いやはや日本の視点だけでは見落しそうでした。世界史で眺めることの本質はここにあり、単に男女の問題だけで見てしまうことの底の浅さを戒めました。
著者の言論には一切の偏りも無く、とてもフェアで説得力があります。
こう考えていくと、やはりよくわかってもいない段階で一気呵成に変革だけを崇拝してしまうのも危険です。あえて危険という単語を。
数ヶ月前に似たようなことがありましたね。覚えていますか?
コロナウィルスの自粛の影響で、学校を10月入学にしたらどうかと世論が傾きつつありました。今は収まってしまいましたが、そんなに軽いものですか?
勿論どうにかしてあげたい。子どもたちは何よりも大事で、国の宝。しかし可哀そうだから変えるというのも違う。他の根拠も何だか弱い。こんな大きなものに立ち向かうのに、深慮無しに一斉に傾く全体主義まがいの動きにも頷けません。
おわりに。
結果として変革もいいのです。いずれ何かが変わる瞬間は訪れるのでしょう。
ただ単なる感情論や、英雄気取りのカッコつけでは真の解決に及びません。相手は巨大なのです。
主観ではそう感じてしまいました。お読みのあなたは如何でしたか?
変えるということのデカさと覚悟を、著者の説得力と継承の問題によって教えられた気がしています。