わたしは笑われても平気なほうだが、いくら笑われても痛痒をおぼえないというほど強いわけでもない。「ひとを笑うくらいなら、ひとに笑われているほうがマシだ」 というだけの小心者である。でも、よく考えてみてほしい。笑う側に立つことによって、おのれの自尊心をまもろうとするのって、むしろ惨めじゃない? くだらない自尊心のために、笑われることにおびえながら生きていくのって、笑われるよりもカッコわるい。
「孔子はこう考えた」 p110
文と書籍の解説。
ブンジブというこのサイトをやっていて良かったなというのが、まさにこのような文に出合えて、それを少しでも皆さんにお伝え出来ることです。かなり鋭い道徳観でもあり、人によっては説教じみて捉えられてしまうかもしれませんが、私は好きです。同意です。如何でしょうか。
本書には他にも伝えたい文がたくさん。また、どのような経緯でこのような文章群が生まれたのか。タイトルにある孔子との関係を後ほど紐解いてみましょうか。こんな内容なのですね。
著者の山田史生氏は笑われる側を小心者と、半ば謙遜も交えて表現しているのだと思われますが、どうでしょうか。私はちっとも小心者だとは思わない。そしてまた、彼の言うように笑うよりも笑われる側で大いに構わないと思っています。その気持ちを改めて強く深く胸に刻ませてくれた文であり書籍ですね。
人を笑うのは悲しいこと。逆に惨めなこと。無理を承知で言えば、、そんな人たちにその理屈や論理が届くことを願います。笑われてもいいんです。