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文慈部:あなたをそこから自由にする名文たち

歴史

「GHQ焚書図書開封12」からの文を慈しむ。(2)

しかし、勝った戦争と負けた戦争を区別して、前者をプラス、後者をマイナスに考えることは、非常に安易な機械論的な歴史観につながります。私にいわせれば、勝った戦争も負けた戦争も同じ民族の歴史なんです。私はそう考えますので、一民族があるときまではすばらしく、あるときからは愚劣をきわめたといういい方は、真の歴史から逃げたいとする現代人の欲求から出た自己韜晦、あるいは心の弱さの表れではないかと思います。
歴史というのはもっと複雑であり、常識的に考えても連続しているものです。

「GHQ焚書図書開封12」 p410

文と書籍の解説。

この文の前後にも相当に重要な文が並び、取捨選択せねばならないことが心苦しいのですが、一番心を揺さぶられた部分を素直に抜粋します。

本書のシリーズは(1)でもお話したように、第二次世界大戦後、GHQ占領下の我が国において、内容が前時代的でよろしくないと検閲・焚書された戦前の書籍を紹介し甦らせています。ただその検閲もあてになるものではなく、実を言えば逆に戦前のフェアで優秀なジャーナリズムに出会うことになったのです。
それらに触れていく中で、著者の西尾幹二氏は一貫して、これまでの歩みを表層的にだけ見て安直に裁くことに強く警鐘を鳴らしています。加えて、(特に今回の叫びは)歴史を、さもわかったふりをして切り取って考えては断じてならぬということを強調しているのです。

私も同感です。偉そうな物言いをするつもりは毛頭ありませんが、このサイトでもその旨をマメに伝えたいと思う次第です。

歴史は非連続だからこそ。

左だ右だとの議論はここでは一切しません。歴史的認識は常に賛否両論があるでしょう。よくわかります。
ですが、これは日本に限らず全ての国においても言えることです(ここが重要で、後に再び触れます)。つまり本質は、良いも悪いも一連の流れや因果があり、それは全て身から出たもの。著者の言葉を借りれば 「いとおしい肉体の一部」 「歴史に非連続はありえない」 ということになるのです。一個の人間の人生も同じではないでしょうか。

こう考えていくからこそ、焚書からあぶり出されるリアルを通して、相対的に顕わになっていく根拠の無い自虐史観や左翼史観を猛烈に批判していきます。これらの根底に横たわる、何となく反省しておけば楽だからという発想。それが文中の 「逃げ」 という表現に置き換えられています。
「謝っとけばいい」 と事なかれ主義で解決を考えてしまう社会と似たようなものだと感じませんか?

ナチスを追っ払った。

この論理の発端は、乃木希典氏の戦前戦後での扱いの違いに基づいています。人の尊厳としてそれはないだろうと。
世相のイメージでまつり上げたり、スケープゴートにして貶めたり。一見もっともそうに言っている戦後知識人の “さかしらな” 言論に一石も二石も投じることから始まりました。

例えばこんなことを言う人がいたらどうですか。
「ナチ支配はドイツの歴史における「異常な一時期」であり、その一時期だけでナチスといういわば暴力集団に歴史が占領されたが、今はドイツは彼らを追い払って清潔な民主国家に生まれ変わった」。

おわりに。

これは実際に発せられた、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の言葉とのこと。
あくまでナチスを自身の敵と置き換える発想は今日まで続くドイツの総意でもあります。ちなみに旧東ドイツの方は、「我々の共産主義というものがナチスを駆逐した」との建国のスローガンがあります。
そこに至る前史は自らにあったのでは・・・。どんなことであれ切り取られた歴史には説得力を微塵も感じない私がいるのも確かです。

歴史はお手軽ではないのです。そう熱く語るこの最終巻12のラストには心を打たれます。人として、また、未来の世代へのメッセージと受け取り、語り継ぎたいと思わせます。

GHQ焚書図書開封 12: 日本人の生と死

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ブンジブ主筆、そして編集長。知的好奇心は尽きず、月30冊の読書量をもっと増やしたいと願う毎日。