不平等だったら、人々は不平等を認識しているので自慢も嫉妬も起こりません。しかし平等だから自惚れも嫉妬も起こるというのです。これは心理的な真実です。平等·不平等の感覚は非常に複雑です。
「GHQ焚書図書開封12」 p90
文と書籍の解説。
面白い視点です。平等って怖い。
平等こそが不平等感の引き金。逆説的。そう思わせる一文です。
私たちは平等というと、崇高で文句のつけようがない理念だと、つい無条件に思わされるフシがあります。ですがよく考えてみて下さい。
平等ってどういうことでしょうか。そんなに簡単で、良いものでしょうか。
秩序をつかさどる怪物の名は。
私はここでいけないものだと断言したいのではありません。しかし、何かにつけて体裁良く平等とまつり上げてみても、その実態は今回の文のように粗も多く、その上何度も見る角度を変えながら検証し突き詰めても、なかなか物事の解決に至らないのが万国共通の現状ではないでしょうか。
平等は人にとって決して生易しくもなければ、本来は心してかからなければならない代物です。悲しいかな、生物の性(サガ)に反しているのも否めず、争いの種になってしまう現実もあります。
逆を言えば、古今東西実際に争いが起きたり、自惚れや買いかぶりで生きられる日常が存在するのは平等だから。その現実を思えば、案外人はもう平等なのではないか。でもそうして平等が世の元凶になるならば、そこにはリヴァイアサンが必要だ。
ん? リヴァイアサン?!
昔の国家の形は、これ。
この著者・西尾幹二氏が贈る 「GHQ焚書図書開封」 のシリーズでは、戦前の名著の数々が紹介されています。それらは第二次世界大戦後、GHQによる占領下にて没収の憂き目にあった書籍たち。発掘し、現代に甦らせることで、当時の作為無き文学およびジャーナリズムの生の声や真実をフェアな眼で解明していく、日本人なら読んでおきたい一大プロジェクトです。
これまで学ばされることのなかった貴重な歴史とイデオロギーが逆に私たちに新鮮さを届けます。
厚い本が12冊並ぶシリーズにもかかわらず、私は難なく読破してしまいました。今回の12は最終巻です。
ところで、そんな本に何故上記のような一文が出てきたのか。
それは昭和19年刊行の和辻哲郎氏 「アメリカの國民性」 という焚書を取り上げていく中で、17世紀のイギリスの思想家トマス・ホッブズの国家論 「リヴァイアサン」、そして彼の 「人間は本来平等である」 という思想に触れているからです。
平等だからこそ争うことが出来るとはいえ、それは無秩序に直結します。
そのためにはどうするか。
彼は秩序のためには大きな力 (リヴァイアサン) が必要との結論に至ります。これが後のロックやルソーの社会契約論へと繋がっていくことになるのです。
これらが深い国家論としてのヨーロッパ人のDNAだと西尾氏は言います。混沌の黎明期のヨーロッパに生きたホッブズだからこその深い洞察だと言わねばなりません。
おわりに。
さて、西尾氏の著作は個人的には好きですね。
ペン一つで日本を守るその姿には、敬意を持たずにはいられません。
本書も含め、綿密な調査をした上でのフェアな物言いにもかなりの強さを感じさせます。まさに偉大な論客。
著作を通じて感じるインテリジェンスには、いつまでもあやかりたいところです。