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文慈部:あなたをそこから自由にする名文たち

アートとデザイン

「芸術を創る脳」からの文を慈しむ。(2)

前田 私なら、「引き出しを二つ用意しよう」と学生にアドバイスしたいですね。先生から教わって分かったことは一方の引き出しに入れます。そして、分からないことや不思議に思ったことは、もう片方の引き出しに分けて入れるのです。分からないことが解決したら、一方の引き出しに移します。

「芸術を創る脳」 p178

文と書籍の解説。

読んだ瞬間、「知る」 と 「わかる」 は互いに異なるという表現が脳裏をかすめていきました。言わんとする真理からはまんざら遠くもないと思いますが如何でしょうか。

本書は全て芸事に専念する4名の方々との会話形式で展開。この一文は、マジシャンの前田智洋氏との会話から生まれたものです。ここに至るまでのその会話も、子どもたちの 「なぜ?」 や 「不思議!」 と思う感性を奨励し、知識を詰め込むだけの教育に警鐘を鳴らすといった話題でした。これらの言葉は大人になった私たちにとっても、学生時代は勿論のこと、今でもどこかでよく耳にする言葉。世代を超えて大切な思想と気付かされます。
ここではこれらをまとめ、「知る」 と 「わかる」 の違いをどのように次世代に伝えていけば良いのかを考えてみたいと思います。大人が説明出来ないといけませんね。

知っているだけでいいのか。

「そんなこと知ってるよ!」
「そんなことわかってるよ!」
こう見るとどちらも似たもの同士。違いを意識して使い分けていますか? 私は恐らく出来ていません。
個人的経験では、かつて外国人の日本語学習者にこの違いを尋ねられ、各々 know と understand / recognize を例に、やや込み入った説明をした記憶が甦ります。確か 「知る」 はある物事に初めて出会い、脳がその存在を認識することで、「わかる」 は真理や本質をつかめるようになること、と。どうでしょう、これ。

ならば今後は是非こう使い分けましょう。日本語のネイティブとして。
「そんなこと初めて聞いた後に脳が認識してるよ!」
「そんなことの真理や本質はつかめるようになってるよ!」 と。

・・・それはさておき、つまり 「知る」 は漠然と脳内に存在し、その後は保証されませんが、「わかる」 は 「知る」 の後において、本質やメカニズムの把握にまで至ると考られます。どうやら2つを同じスタートで比較してしまうより、前後の時間軸で考えた方が良さそうです。
私がこうまで考えてしまうのも、クリエイターとしてスキルを要する仕事柄のためです。特にスキルは言葉や手法をただ言われたままに 「知る」 のではなく、何故そうなるのかの原理を理解し、最終的に使える形で持たなければなりません。そう教えてもいます。まさに2つの引き出しなのです。
(参考文献 「遺伝子の不都合な真実」)

さらに、「知る」 を競うクイズ番組を観ていても、同様のことを思うのです。

「知る」 は重要なスタートライン。

クイズ番組は好きですか?
私は好きな方です。ただ楽しむ一方で、脳の容量を競うのを観るだけでは何だか物足りず、素直なのか天邪鬼なのかわからぬ心境で、たった一つの答えの本質や起源、もしくは背景までをも含んだ、さらに深淵な所にいちいち触れたい私がいます。
これは特別スゴイことではなく、仕事のトレーニングかもしれません。最近ではクリエイティブ思考なんて呼び名もあるそうですが、主観では知るだけでは虚しさを感じてしまうのです。

さて、まるで知ることがいけない雰囲気になってしまいましたが、「知る」 は立派な行為です。誤解してほしくはありません。

このような好奇心に関する研究書があります。
「子どもは40000回質問する あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力」
ここでは、わかろうとする心は知ることから始まるとの研究結果も出ています。単純に、無知ならば疑問も好奇心もわきません。

おわりに。

要は、「知る」 は重要なスタートラインとして、その後に 「わかる」 ための心を育めば良いのですね。

「知る」 と 「わかる」 はこうして似て非なるもの。前後関係で捉える必要がありました。前田氏の話が気付かせてくれた気がします。
また、大人になっても年老いても2つの引き出しを持つことは人生をより楽しくさせるかもしれません。次世代にそれも伝えていきましょうか。

著:曽我 大介, 著:羽生 善治, 著:前田 知洋, 著:千住 博, 編集:酒井 邦嘉
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ブンジブ主筆、そして編集長。知的好奇心は尽きず、月30冊の読書量をもっと増やしたいと願う毎日。