とはいえ、ぼくには当面なんの欲望もなかった。これは、多くの哲学者が羨むべきとみなした状態だろうし、仏教徒も大方は同じ考えだろう。しかし、他の哲学者や大方の心理学者たちはその反対で、欲望の欠如を病的で不健全と捉えがちだ。
「セロトニン」 p74
文と書籍の解説。
欲が無い状態は危険な兆候。生命にも関わる――。
あなたには欲望がありますか?
いきなり聞かれても困るかと思いますが如何でしょう。どんな些細な事柄でも構いません。
ここからは私の推測になってしまうことをお許し頂きたいのですが、あなただけではなく、誰しも大なり小なり何らかの欲はあるかと思うのです。昼ご飯は○○を食べたいというものでさえ、この場合立派な欲です。翻って、「雨ニモ負ケズ」 にあるような崇高に捉えられる無欲も、突き詰めれば欲の対象が別にあるわけで、もしくは何かに夢中になっているわけで、やはり欲の存在そのものは無視出来ないものです。
今回の文に照らせばこれらは健全な状態、というか当たり前にしか思えず、欲の定義付けも不要となるでしょう。しかしながら驚くことに、人間の身には執着や欲望の無い状態が、生命のメカニズムとしては有り得るのです。ご存知でしたか?
この場合は、無欲は決して誉れな話でもなく、人間の命に関わっていく重大な危機にもなるのです。
主人公の脳と体はフリーズ。
主人公の 「ぼく」 は46歳の男性、名前はフロラン=クロード・ラブルスト。先の文に続けて詳細な心身状況を自ら語ります。
身体に対しての欲や執着が全く無くなり、身体を洗うことが困難――歯磨きはかろうじて出来てもシャワーを浴びるのがひどく億劫で、身体が無くなればいいと憂う状態。いずれ体臭が目立ち奇異な目で見られるのも厭わず。概して、全てどうでもよくなる状態です。
これは完全にうつ状態にあたり、やがて彼は未体験だった精神科医の受診を決めます。
何故彼がこんな状況に陥ったのかは後述しますが、この億劫感は嘘のような本当の話で、怠惰とは全く次元を異にします。絶望の別の姿とも形容出来て、危険信号の一つです。
譬えれば、パソコンのフリーズを想像してみて下さい。
脳を始めとする生命活動が全て止まってしまい、動けなくなる状態に悩まされます。そんな自己の存在を憂うあまり、いっそ骨になり、粉々になって無くなってしまいたいと願う。たまたまその願いを叶えられる選択肢が、命を絶つことになってしまうのです。勿論その結末を選んではいけません。安易な表現をするつもりは毛頭ありませんが、少しでも事実を伝えたい。
故に解決策は、好きなことを時間を掛けて少しずつ行う療法となるのです。
そこでセロトニンというタイトル――。
巷では 「幸せホルモン」 とも呼ばれる脳内物質の名称で、うつに効くとされています。
本書の冒頭では主人公の自己紹介と抗うつ剤の豆知識。その一つであるキャプトリクスという薬が登場。当然これにはセロトニンをより分泌させる成分が含まれるとは言え、彼はある副作用を気にしながら、苦しい時には終始これを服用していくことになります。
ミシェル・ウェルベック氏とは。
元来、本書は主人公の蒸発や引きこもりがモチーフです。
恋人と別れるために、主人公があるTV番組に触発され、全てを捨てて蒸発をする決心から話が展開。その手はずを整えていく中でかつての知人・恋人に会い、変わり果てた姿を見るにつけ、喜びや幸福とは一体何なのかと苦しんでいく物語です。
やや展開が目まぐるしく、突然新しい人物の話題にすり変わったりして混乱します。また基本的には幸せではない話なので、疲労時には避けた方が無難でしょうか。
さて、このような社会派として挑発的なテーマで近未来を描く著者のミシェル・ウェルベック氏はフランスの作家。現代を深くえぐる作風は飽きが来ません。一つ難点を言うと、時に気持ち悪くなるほどの生々しく官能的な描写があり、良い作品であっても子どもには読ませられない大人向けな所です。
とは言え、その中にはベストセラーにもなった問題作 「服従」 が。
2022年のフランス大統領選挙で、イスラム教の政党が勝利を収め政権を握る物語。こう聞いただけでもなかなか一クセありそうに感じませんか?
世界情勢の書籍を読んでいたところ、この小説が取り上げられてもいました。
さらに他にもこのような作品があります。
「素粒子」
「プラットフォーム」
おわりに。
主人公の一連の出来事をまとめて、セロトニンと題したセンスには惚れ惚れしてしまいます。
今回の文は恐縮ながら私自身が経験した境遇にオーバーラップしたこともあり、取り上げ、一気に本記事を書き上げました。
どうしてもどこか悪の象徴と見られてしまう欲望も、見方を変えれば生命を動かすための薬、もしくは幸福へのチケットです。無料で手に入る代わりに、目的地に着く保証はありませんが。
そして無欲は崇高で憧れる一方で、どこかに必ず内省的な別の欲がある。またそれは哲学や宗教等を越えて人間の本能的なもの。大いに欲望を味わうことを勧めてくれたような小説でもありました。