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文慈部:あなたをそこから自由にする名文たち

文学

「いま、なぜ魯迅か」からの文を慈しむ。(2)

そして伊丹は論を進める。
「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
(中略)
だまされるということもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである」

「いま、なぜ魯迅か」 p108

文と書籍の解説。

うん、手厳しい。されど向き合わねばいけない話。個人的には概ね同意です。あなたにとっては如何でしょうか。

この文で気になるポイントは2つ。
まず1つ目です。これはだまされないようにするための警告として勿論成立しますね。加えてそれだけではなく、その裏側には、だまされることが無条件で可哀そうだとされ、いつの間にか正義の側になって――。その結果、自らを慰め甘やかしてしまうことで成長の阻害を引き起こしかねない事実を戒めてもいます。それでは結局のところ何も変わらず再びだまされるでしょう。あ・え・て、誰もがこの言葉を心に用意しておくことは、冷たいようですが、何事においても大切かもしれません。詐欺にも、恋愛にも、差別にも、ヒエラルキーにも。
悲しいかな、こういった脱ユートピア的な思想にさらされることは、広い世界に出れば出るほどスタンダードになっていくと言っても過言ではありません。
そして2つ目のポイントです。

知は何のための力か。

知識の不足と意志の薄弱とは気になる視点です。
知識の不足・・・最近頻繁に聞かれる表現では情報弱者とありますが、そう形容される人たちがうまい具合にだまされ、搾取され、知らぬ間に操られる対象になりがちなのは、半ば世の摂理であって頷くしかありません。
また信念や意志の弱さとは、生きていくためには何としても克服したいもの。それが弱ければ、本望ではないのにもかかわらず、断れないがために流されてしまうこともあるでしょう。人間関係でも、縁を切れずにズルズルといってしまうこともあるでしょう。
己の良心やポリシーを確立させて、あくまでそれに基づいて答えを導き出す成熟さが必要です。これら2つの表現は、自らを甘やかさない深慮と決断の重みを考えさせてくれます。
ところで、魯迅に関する本で何故にこの文が出てきたのか。

それは魯迅の持つ批評的精神をモチーフとして、戦争責任について触れているためです。本書第9章の 「中野重治と伊丹万作の魯迅的思考」 からの引用です。

いきなり大きな話題ですね。これはとかく難しい部分も含むので、必要以上の言及は控えたいと思いますが、誰に責任があるのかという大きな問いに、民として、「知らなかった」 「だまされた」 を免罪符に、無条件で正義の側に立とうとすることは勘違いだと、発言の主、伊丹氏は警鐘を鳴らしているのです。

魯迅と万作。

発言の主の伊丹氏は・・・とその前に本書のテーマ、魯迅について先にお伝えしましょう。

(1)の方でも書きましたが、魯迅は中国現代文学の礎を築いた小説家です。主に20世紀初頭に活躍し、日本への留学経験もありました。その著書は時代背景も手伝って概ね現実主義の印象です。

さて、文中の伊丹氏は伊丹万作という知性派と呼ばれた映画監督で、かつて同じく映画監督として活躍した伊丹十三氏の父にあたります。早逝はしたものの、映画作品とともに著作も多数残し、社会のゆがみに苦言を呈する内容が多く見られます。本書では半ば強引にそんな彼と魯迅に共通する批評的精神を結び付け――。その著作の中の一つには 「戦争責任者の問題」 というものがあり、今回はそこからの引用となったわけです。
第二次世界大戦において日本中が騙されていたというが、騙したのは誰なのか? 騙されたほうには責任はないのか?
万作氏が叫ぶテーマはそこにあり、生きた時代からこのような言葉が強く紡ぎ出されたと思われます。

おわりに。

思いの外、広範囲な話に発展しました。
戦争、そして国民をだましたかどうかという話題で考えてしまうと難しくなります。しかしながらその本質としては、被害妄想という偽りの正義に溺れ安穏としてしまうのではなく、また安易に自己を慰めることなく、したたかに生命力を上げ続ける糧だという論理で心にとどめておいて然るべきなのではないでしょうか。私はそのように受け止めたい。そこに特別な悲哀も正義も無い、ただ戒めよと。

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ブンジブ主筆、そして編集長。知的好奇心は尽きず、月30冊の読書量をもっと増やしたいと願う毎日。