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文慈部:あなたをそこから自由にする名文たち

思想と哲学

「中学生からの哲学 「超」 入門」からの文を慈しむ。

われわれ一人一人が自由で平等だということを、誰が認めているのでしょうか? 神様? それとも、政府? どちらでもない。また誰か特別な人がそれを認めているのではない。重要なのは、近代社会では、人々が他人の自由と平等を、お互いに認め合っている、ということ、つまり 「自由」 を相互に承認している、ということです。

「中学生からの哲学 「超」 入門」 p120

文と書籍の解説。

まず一言、この本は良かった! それを少しでもお伝え出来れば――。
その名の通り哲学についての本ですが、全体的に鋭い所を突いてくる感触。大人になると、こういった倫理や哲学に対しては言い尽くされた言葉も多くなり、半ば不感症気味にもなるものですが、ここには驚きと感銘による気持ち良さがあります。
失礼ながら、目立つタイプの書籍ではないかもしれません。だからこそ余計に出会えた喜びをお伝えしたい。

今回はその中でも、独断ではありますが、特に感銘を受けた先の文をご紹介です。その理由はと言うと、最後の 「相互に承認」 という箇所。
私たちのみならず、世界中で自由と平等という言葉がまるで正義の代名詞のように謳われています。金科玉条と言っても良いでしょうか。それ自体はとても素敵なことですし、私自身も (そして勿論あなたも) その恩恵をたっぷり受けて今生きていられるのですね。ただよくよく考えてみると、著者の竹田青嗣氏の台詞にも一理も二理 (?) もあり、それらは果たして、誰かが決めて、私たちに与えたものなのでしょうか? もしそうならば、一体誰が?
目に見えない大きな力が作用しているのか? タオか? リヴァイアサンか? インテリジェントデザインか?

中学生からとは言うけれど、実は。

こうして本書は、一貫して本質にせまるシンプルな思想が連なるように思われます。だから入門編として問題は無さそう、と言いたいところですが、果たして中学生向きなのかという疑問は残ります。個人的な想いとしては、もっともっと嚙み砕かれているのかなと勝手に踏んで手に取ったのですが、意外と人間的成熟を要するラディカルな論理に終始します。ただ、言葉や説明そのものは平易で専門用語等も無く、わけがわからない印象や、そこから生じる嫌悪感とは無縁です。

冒頭では著者の出自や青年時代の話が続きます。ここが、やや物議も醸す大人の世界の話にも感じてしまいます。大々的な言及は控えますが、一例として民族的なことや、赤だの白だのという思想に関することです。
中学生がこれらの事実及び真実に向き合っていくその姿勢と心意気は否定しないものの、ついていけるのでしょうか。この段階で知る必要があるのでしょうか。私にはわかりません。ごめんなさい。私が中学生の時はどうだったかな――。見方を少し変えれば、そんな知性あふれる中学生を育てるのも良いのかもしれません。とは言え、順序はあるかなという印象は否めません。加えて、自身の中でもっと噛み砕いたあかつきには、逆に大人から子どもたちへの説明に使うのもアリかと思わせます。
ところで、実を言うと、読み始めた当初はこの辺の著者個人の話を退屈に感じてしまい、こちらが求めていたことと違うがために、こんなはずではなかったという印象を。しかしながら気長に読んでみるもんですね。その後が良かった。
そうして後半へと読み進めるうちにテンションは上がっていきます。そこで出会った今回の文に想いを巡らすことになります。

自由も平等も幻。

自由と平等は国連憲章で定められている。では国連から与えられたいるのか? だとしたら脱退すれば、その時点で自由も平等も考慮しなくて良いのか。同様に、ある国の憲法で定められているとして、ではその国を一歩でも出れば成立しないのか――。

一歩立ち止まって考えてみる。如何でしょうか。
私たちが今思い描く自由や平等は、実は何だかただの幻にも思えてきて、またあやふやなものにも思えてきてしまいます。
元来それらは、そのように何か大きな力や権威によって価値付けされたものでもなければ、宗教や文化的思想に依存するものでもなく、真剣なギブアンドテイクとでも言いましょうか――ごくシンプルにお互いにそれを認め合うことで初めて成立すると教えられます。不寛容な時代へと突入し、マイノリティや差別の被害に遭う側への考慮は言うまでもなく大切としながらも、そこで何でも許されるような一方通行でもなくて、フェアに持ち寄るもの。かつてヴォルテールがが言ったように、自らの言論の自由を叫ぶと同時に、自動的に相手のそれも認めないといけないといけません。既に存在する、無条件に存在するのではなく、私たち各々が気付き続けなければならないのだと悟らされ、ハッとさせられます。非常にシンプルで大切にしたい論理に出会えたと感じさせます。そしてまたこの論理は、今後生きていくうえで広く使えそうだとも思わせます。
(参考文献 「アレント入門」 「寛容論」 )

新しい扉が現れては広がっていくような書籍。その考えがあったかっ! という体験。

その他にも、例えば、権威・ルール・教育についての話題。
ルールでは、何故人を殺してはいけないのが。
教育では、何故人は学ぶのか。考えさせられます。
自由についてのアプローチもなかなか無いもので必読です。

おわりに。

自由や平等ばかりが叫ばれ、大切とは勿論思いつつも、どこか利己的で一方的に感じることも多くなった今日この頃。それに対し嘆くつもりはないものの、自らのそれを主張するということは、半ば自動的に相手のそれも理解しなければならないというシンプルな構図はもっと広まっていいのではと思わせます。
人種に関することも性別に関することも、それらの主張には攻撃があるのではなく、防衛する権利があるにしても、思いやりと理解という単純なものがあるのだと。青臭いことを言うわけではないのです。
どうやっても、それしか無く、争いありきでは解決しないのは歴史が答えを出しています。とはいえ、このように刺激を与えてくれた文、そして、書籍。次世代に繋げていきたいと思います。

今回登場したその他の参考書籍

寛容論 (中公文庫)

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ヴォルテール
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ブンジブ主筆、そして編集長。知的好奇心は尽きず、月30冊の読書量をもっと増やしたいと願う毎日。