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文慈部:あなたをそこから自由にする名文たち

宗教

「裸の仏教」からの文を慈しむ。

「とらわれない」 という言葉自体はどちらかといえばポジティブな語感をもちますが、裏を返せば、万事に無関心でいることにほかなりません。事実、これにぴったりの表現として英語の 「indifference」 という言葉がありますが、この語を辞書で調べると 「冷淡」 や 「無関心」 とならんで 「超然」 という訳語がでてきます。

「裸の仏教」 p163

文と書籍の解説。

人間の弱さとは何か。
個人的にふとそんなことを考える瞬間がよくあるのです。自己啓発的に強さを問う前に。表層的な強さに騙される前に。だからなのでしょうか、この文が印象に残りました。

人間の弱さとはひとえに 「気にすること」。これ、如何でしょう。
例えば罪悪感やコンプレックス等、概して人を萎縮させるものは全てこれから始まってしまうと言っても差し支え無いのではないでしょうか。気にするから辛くなるのだと。
これら人の苦しみに対して、不謹慎なことを軽はずみに言うつもりは毛頭ありません。私も同じ人間です。そんな時だからこれが役立つ一文であってほしいと願うのです。
逆に、今度は人の強さに話を移せば、そのままひっくり返して、「気にしないこと」。これも如何でしょう。
例えば何があっても、そして誰を目の前にしても、時に屈託無く気にしない人には人としての華や芯の強さを感じさせます。

私たちの信じる仏教は偽者?

気にしないことの土台は無関心と言えますね。その本質は、関心を持つべきでないことを見極め、関心を持たず振り回されないこと。えてして無関心というのは悪い表現に思えても、きちんと使えばむしろ必要で、幸福の素になりうるのは興味深いところです。

さて本書は、「裸の仏教」 というタイトルの通り、仏教の真の姿に迫る内容です。そう言うと、何だかありがたぁーい話のように思われそうですが、逆です。無関心を称えてきたように、真実はかなり過激でゲス。ブッダの生涯とともに歩んでいきます。

生まれたばかりの仏教、またはその流れは原始仏教や上座部仏教と呼ばれますが、今それを受け継ぐ国はタイやミャンマー、スリランカ辺りの数カ国のみ。日本は違います。
日本仏教はインドから中国経由で、姿形を変えて6世紀に伝わってきたものです。これについては本物なのか偽物 (亜流) なのかとの議論が近代以降なされていますが、それ以上ここでは触れません。

い・け・な・い仏教。

原始の教えはブッダそのもの。殺伐としてドライな印象。全てにおいて 「知らネーヨ 」と言わんばかり。元々は彼は人間嫌いで、意外にも死後の世界を信じません。悟りのためなら妻も子供も捨てます。そんなハチャメチャで綺麗ごとで済まさないところに逆に好感が持ててしまいます。
ただ、果たしてこれを崇めて良いものか・・・。

とはいえブッダのこんな波乱万丈な人生はハッキリ言って面白いのです。事実にも基づいていますし、一つのスペクタクル。
知れば知るほど、ブッダにも仏教にも毒も親近感も感じ始めます。

だからなのでしょうか。現代の上座部仏教圏である東南アジアの僧侶の書籍 「仏教は心の科学」 「怒らないこと」 を読んでみると、尖っていて毒舌です。思いのほか面白い。やはり元来の悟りに至る修行は真実や真相をえぐり出していくからなのか。

おわりに。

ブッダは聖人というよりもたくましく、仏教は達観し過ぎていて怖さすらあります。でもそれが魅力。
無関心や超然という考えに行き着いてしまうのも当然の結末です。そして、それが人間の安らぎを招くというのも皮肉を感じます。関心故に人は常に悩むのだと。

面白おかしく、ブッダと仏教の真の姿を知るに至りました。入門編としては文句無しです。ですが同時に、実は真面目に人間の真相を考えさせられた気もしています。

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ブンジブ主筆、そして編集長。知的好奇心は尽きず、月30冊の読書量をもっと増やしたいと願う毎日。